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響け!ユーフォニアム 感想① 〜吹奏楽の歪み〜

先日公開された劇場版「響け!ユーフォニアム」を観てきました。

TVシリーズ放映時はいろいろあって4~5話くらいで視聴をやめてしまったのですが、劇場版で回収することが出来てよかったです。

このアニメは吹奏楽コンクールを目指す高校生達を描く人間ドラマで、その素晴らしさは多くの人に語られていると思いますので、僕はこのアニメを見た上で「吹奏楽というジャンルの音楽をやり、その楽器の練習に青春を費やす意味はあるのか?」ということを考えてみたいと思います。

(※ちなみに筆者は普段ギターばっかり弾いていますが、中高の部活で吹奏楽をやっていてクラリネットと指揮者をやっていましたので、それの経験も踏まえて記事を書いています。あと小学生の時にユーフォニアムをやってたので一応吹けます👳)

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吹奏楽をやる、ということ

まず、吹奏楽というジャンルの音楽をやることについて考えてみましょう。

https://ja.wikipedia.org/wiki/吹奏楽

吹奏楽は大人数で演奏する音楽です。本編のコンクールでは55人でしたね。この大人数で1つの音楽を作り上げます。同時に演奏している55人の一人ひとりの音を聴き分けるのは通常無理なことからも分かるように、吹奏楽団の中では個が果たす役割は非常に小さいです。

本編でも誰がトランペットのソロを吹くのかを巡る描写に相当な尺を使っていたと思いますが、そのソロだってわずか数十秒のメインメロディーを誰が担当するのかという問題に過ぎません。音楽を要素から1つ1つ積み上げて作っていくという視点から考えると、かなり小さな問題であると言えると思いますが、吹奏楽団で主張できる個の限界はソロパートなのです。奏者にとっては非常に大きな問題ですね。

この例からも言えるように、大人数で1つの音楽を作り上げる都合上、個の立ち入る余地は非常に限られているのです。いくら個人個人がうまくなっても、出来上がる合奏のレベルは上がるでしょうが、個人個人の活躍・貢献度・目立ち度という意味では何も変わらないのです。

それどころか、麗奈のようにうまくなれば人から反感を買い、嫉妬され憎まれてしまうこともあります。一方で、当人も自分だけがうまくなっても他全体がうまくならないと全体の演奏は変わらないので全国を目指すことは出来ないという葛藤を抱えてしまいます。劇中でも麗奈は「ああああ〜〜〜〜!!」って叫んでましたよね。

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避けられぬ感覚の”ズレ”

吹奏楽をやっていると、往々にして様々な感覚のズレが生じるように思います。先程は人間関係的な問題でしたが、それ以外にも音楽的な問題もあります。全体のレベルを上げるには、個のレベルを上げるのが必要です。一方で、個のレベルが上がっても、自分の担当する内容は変わらないという問題です。

ゲームでも自分がうまくなったら難易度の高いことにチャレンジしたくなりますよね。楽器もうまくなると、もっと目立ちたい、もっと難しくてかっこいいフレーズを吹きたい。上達にするにつれていろいろな欲求が生まれる様になりますが、それを吹奏楽によって解消することが難しいのです。それは吹奏楽の中で自分の演奏する音を主張する、“自分の演奏”を聴いてもらうのが難しいことからもお分かりいただけるでしょう。

一般的には、上手くなればメロディーを担当することが多い1stパートを任され、時にはソロを任せてもらえることもあるでしょうが、これで満足出来ない人はずっとモヤモヤを抱えることになります。

つまり、自分のレベルに合わせた音楽にチャレンジしたい人、楽器がとにかく好きで自分が楽器を吹くことが目的な人は吹奏楽に向いていないと言えるのではないでしょうか。この上なくサイコーに乱暴に言うと、

集団の1つの歯車として楽器を吹きたいヤツは吹奏楽をやれ!

という感じでしょうか。実際吹奏楽は学校教育で社会教育的な意義を持つらしいので、そういう人材が育成されていくのかもしれません。

さて、ここまで吹奏楽という集団の中での個について述べてきました。

次の記事では、音楽的能力という面から考えた時、ユーフォニアムのような「吹奏楽で使われる楽器をやる”意味”はあるのか?」ということについて書いていきたいと思います。

 


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